映画「スタートレックⅢ ミスタースポックを探せ」 Star TrekⅢ The Search For Spock
さて三連荘の最後を飾るのは、Star Trek第3作の「ミスタースポックを探せ」
今作ではスポック役のレーナード・ニモイが初メガホンをとっている。
そういう意味でも客観的にスポックというキャラクターを観ていたかもしれない。
スポック不在(正確には居るには居るのだが)のなかでの各キャラクターのドラマを撮っていたのだろう。
ストーリーに触れると前作のストーリーに触れるから、ネタばれを避けたい方は作品を観るまでこの後は読まないように。
というくらい、今作は前作の続き感が強い。
1作目を観ないでも2作目は楽しめるが、2作目を観ないで今作は楽しめない。
もっとも、世界中のトレッキーが観るだけで十分興行収入を上げられるから、ご新規のファンなど考えていないのだろう。
肉体と精神が分離した状態で存在するスポック。
その死に悲嘆するカークが、いつもどおりのエゴを発揮して、周りの迷惑や規律を顧みず、エンタープライズを強奪してスポックのために奔走する…
一応、その原動力は”友情”なのだが。
今回の適役は、宿敵クリンゴン。
後のスタートレックシリーズでは同じ惑星連合の仲間になっているが、この頃はしっかり敵国だ。
1作目の最初に、やられキャラとして登場するが、今回はしっかりストーリーの中心に存在し、テレビ時代からのトレッキーを喜ばせてくれる。
前作でキーワードとなったジェネシスをめぐり、その存在がスポックの肉体を再生し、カークの息子(ジェネシスの研究者)をクリンゴンの標的にし、人類が生命を扱う危うさを訴える。
前作でスポックを亡くしたカークが、彼を取り返す見返りに家族と、その肉体の一部でもあるエンタープライズを失っていく。
しかし、エンタープライズはあくまで器であって、スタートレックの物語はその主要クルーが集うことで成り立つかのように、最後はクルーの笑顔で物語りは締めくくられる。
そう、これは人間ドラマだからこれでいいのだ。
テレビ時代のクルーがそろえば、その他の登場人物は失われていっても問題ないのだ。
(これは半分皮肉ですよ)
しかし、クリンゴン艦長を演じたクリストファー・ロイドの存在感はすごい。
あれだけの宇宙人メイクなのに、その表情や台詞口調で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドク役が思い返されるのだから。
もうひとつ楽しみなのがエンタープライズとクリンゴン戦艦の戦闘シーン。
「バード・オブ・プレイ」という艦名はテレビではロミュランというもう1つの敵対勢力のものだったと記憶してたけど…そのステルス能力とクリンゴンの好戦的な思想が組み合わさって、なかなかのシーン。
もっとも、戦争主体の映画じゃなく、戦争もエピソードにした人間ドラマだからあまりこだわらず、その駆け引きで人間性(カークのだましテクニックは大きな武器だ)を浮き彫りにする素材としてのお楽しみ。
この後も映画は続くんだけど、エンターテイメント性はこのⅡ・Ⅲが一番楽しめる。
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