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December 21, 2010

ライブレビュー「キツネの嫁入り」One Man Live その2

Jkitune06


この第2部のレビューを途中まで書いていたのが、PCが謎の再起動をしたために飛んでしまった。
泣く泣くもう一度打ち込み始め…これまた再起動でぱぁ。
まぁ、こまめに保存しなかった私が悪いんだけど、後で続きを…と思いながらPCをつけっぱなしにして油断してました。
おかげで、再度打ち込みなおすために、再び音源を聞く機会に恵まれると言うか…このレビューを書き終えるまでは、あの日の感動の余韻を、とできるだけ他の音楽聴いてないから、1週間はキツネ漬け(笑)

20分ほどの休憩をあけての第2部
第1部の予告(というか、「マドナシ」さんの無茶振りか?)を受けて「ひーちゃん」さんの木琴ソロからスタート。
ステージ脇で眺めてたほかのメンバーがそろりそろりと集まって、そのまま1曲目へ。

・白黒
初めて聞いたときに、白黒つけることへの批判と、白黒になりきれないグレーの悲鳴を語った歌詞に感動。
サウンド的にも、あまり変化をつけずに、その分じっくり歌が聴ける。


・せん
6拍ととるか、4+2拍ととるか、初めて聞く曲が変拍子だとつかむまで戸惑いながら、それが心地いい。
途中、木琴の3連と「とっくん」さんの「123456」ってコーラスがまたリズムを惑わせて、6拍側に気持ちを合わせていたら3連側にあわせて4拍打ちに…さらに変拍子も交えて…あぁこういうの大好物。
プログレおやじの血が騒ぎます。
ただ残念なのは、リズムに心奪われて歌詞をじっくり聴けなかったこと。

・結局、そう
前曲から一転、シンプルなリズムをギターが刻み、ドラム・ベースが加わるとパンキッシュな雰囲気に。
パンキッシュといっても、ピストルズやクラッシュ的なものではなく、ほんとうはパンクじゃないのに時代の流れでパンクにくくられたポリスの持ってる、「テク持ちがあえてシンプルに」っていうおしゃれなパンク。(書いてる本人もよーわからん表現だけど…笑)
まぁ、70年代に心奪われてるおっちゃんには、なじみやすい音ってことで。

・夏の終わり
祭りだ。
キツネの本領はやっぱ祭りだ。
それもカーニバルじゃなくて、森の奥でひっそり行われる物の怪の祭りだ。

・聞こえない声
「映画に音楽が使われることになりました」というMCのあとにはじめられたのは、「ひーちゃん」さんがメインボーカルを取る曲。
ジャンベに乗せて歌う「ひーちゃん」さんの歌は、普段からそのコーラスの声に魅せられてた私にはうれしいプレゼント。
もちろん、その世界観は「キツネの嫁入り」そのもの。

あとからネットで得た情報では、「来つ寝世鏡奇譚」というのが映画のタイトルらしい。
要チェックだ。

・家探し
「マドナシ」さんが丹念にギターのチューニングを直し、「ひーちゃん」さんはアコーディオンを下ろしてピアノに座る。
ピアノ中心にベースが静かに低音を埋めていく…あぁ、Sigur Rosで味わうような白い霧の中の世界だ。
先の「ひーちゃん」さんのボーカルもいいが、こういう静かな曲の「マドナシ」さんの声色もまた絶品で、優しく包み込んでくれる。


・雨の歌
初めて聴く曲が続いた後、聞きなれた懐かしいフレーズに心癒される。
ベースのフィルインが今までとは違った味を加えて、にやりとさせられる。

・エール
「エール」なんて、なんとなく「キツネの嫁入り」には似合わない単語なんだけど、淡々と歌われる「歩き出す、歌い出す」という詩は、「マドナシ」さん自身への宣言のようなものなのか。
ベースのスウィング具合がとてもジャジーで、4人編成になった新たな「キツネ」の姿を見せてくれた。

・ブルー、始まりと途中と
一転、ベースがグルービィなものになり、ロックな「キツネ」があらわれる。
これもまた4人ならではの「キツネ」

・東西南北
音が溢れかえる。
どちらかというと「音の引き算」が「キツネの嫁入り」の魅力なんだけど、各楽器に加えてコーラスまでもが重なり合い、少し威圧的にさえ感じる。
思えば、ロックコンサートの後半ってのはこんな感じで各パートがあったまりきって、怒涛のソロの応酬ってな感じなるのが当たり前で、そこに何の疑問も感じていなかった。
だからむしろ、聞く側の私の衰えが在るのか…

・夜あるくもの
もう多くの言葉は要らない。
たまたまネットで知り合った「マドナシ」さんに誘われるまま訪れたライブ。
その最初の出会いのときに一番大きくインパクトを受けたのがこの曲だ。
編成が二人だったり三人だったり四人だったり…それがどのような形であろうとも、この曲から溢れてくる世界観は変わらない。


・最後の朝焼け
サウンド的には繰り返し挿入されるベースのフィルインが印象的で、効果的。
私が出会う前から「キツネの嫁入り」には歴史があったし、いろんな出来事があっただろう。
私が知ってからの数年間だけでもいろいろあった。
CDデビューを果たし、ワンマンライブをし…そんな節目節目に出会うことが出来た。
「キツネの嫁入り」はまた次のステップを迎える。
でも、この曲に込められた思い・想い・魂は変わらないと思う。

 後悔しないように後悔した日々

でも、明日がどうであろうと”今”を生き続ける。


4人となったことで、新たにできるようになったことがある。
4人になったことで、以前のものにプラスされたこともある。
過去のイメージと比較することは簡単だけど、それはそれ・これはこれ。
安定したものとだけ出会いたいのならば、スタジオで丹念に作りこまれた音を繰り返し聞いていれば良い。
それもまた音の楽しみ方の1つだ。
こうして”生”の場面に立ち会って行くのも良い。
それもまた音の楽しみの1つだ。

4人なった理由は知らない。
ただ、4人になる必然がここにあったのは感じる。
楽しい夜でした。


P.S.
音に厚み・強みが出て、大音量で奏でることが出来た点はあるけど、ただひとつ…「ひーちゃん」さんの繊細なコーラスが聞けなくなった曲があることだけが残念。
ただ単純にPA的にコーラスの音を大きくすれば良いって問題じゃない。
音のスキマから垣間見える、”揺らぎ”が効果的なんだ。
「ひーちゃん」さんのコーラスには、その揺らぎが溢れている。



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December 14, 2010

ライブレビュー「キツネの嫁入り」One Man Live その1

Jkitune05

久しぶりにライブスポットへ赴く。
このブログで見てみると、ちょうど一年前の12月12日に、レコ発イベントで彼らを見に行って、実に丸々一年ぶりのライブ鑑賞。
これまでも幾度かのライブにお誘いいただいてたけど、諸事情で実現せず…でも、初のOne Man Liveとくれば、これは馳せ参じなければと。
そしてなんとか諸々の都合に渡りをつけて、行くことが出来た。

この数日前、「マドナシ」さんが事故ったそうで、mixiにてそのことを知っていたのだけど、数日前に別の場所でのライブも無事済ませたということで一安心。
会場に入ると、受付で「ひーちゃん」さんが迎えてくださり、挨拶がてら相方の様子を尋ねる。
大丈夫そうってんで一安心。
で、会場に入ると本人が松葉杖ついて、来場者に声かけてるのを見て、もう一度安心。

いつでも会えると思ってる人でも、そこに確かなものはなく、ほんの些細な事情で会うことがかなわなくなってしまうことは、彼の歌の世界でもよく歌われていること。
当たり前のようなことが、当たり前じゃないってことを…
でも、この日は会える必然があったんだと。

ほぼ定刻に着いたんだけど、なんとかイスを確保できて、ビールを頼んでちびちび飲みながら開演を待つ。
20分ほど遅れて、会場SEが止まり、客電が落ちた。
テーブルの上のろうそくだけが揺らめき、ステージが明るく照らし出された。


初期の曲から始まったけど、今まで聴いたことがなかったのがまず3曲。

・キツネの嫁入り
イントロからアコギの低音で雰囲気を作る。
アコースティック中心でパーカッションもベースも控えめで、じっくり「マドナシ」さんの歌が聞ける。
あぁ、確かに原点なんだなぁと。
オリジナルは知らないけど、たぶんあまり触らないようにしてるんじゃないかなと想像。

・419
これも静かな曲。
ベースがボウイング(弓で弾く)ことで、シガーロスのような霧に包まれた雰囲気を作り出してる。

・人殺しのワルツ
アコーディオンの音で3拍子をすると、とても軽やかなジプシーダンスの雰囲気に包まれる。
なのに、心が軽やかにならないのは「キツネの嫁入り」独特の毒のせい?
でもそれが好きなんだ。

ここからアルバムでおなじみの曲が続く。
・世界の逆
・群れをなす
・カラマワリ
・忘却
・箱庭

「とっくん」さんベースが加わったことで(アルバム時もゲスト参加してたけど)今までアコースティックレベルで抑えていた(?)「カギ」さんがドラムで活躍してる。
ベースの音圧が加わることで、ドラムで音を強めても飛び出しすぎることがなくなったんだろう。
もともとグルーブ感が好きな私には、この「とっくん」さんのグルーブ・ベースは大好物だ。
思えば、不思議なご縁で「マドナシ」さんと知り合って、お誘いいただいたライブ会場に足を踏み入れたときに演ってたバンドが「LLama」で、いっぱつで気に入った演奏のベースがこの「とっくん」さんだった。
(昨年の「キツネ×LLama」2マンの記事にも書いてます)

ただ、まだこのあたりの演奏はドラムよりもパーカッションを使うことが多く、脳内に残ってるアルバムでの音バランスとさほど違和感はない。

・カエルの人と魚の人
アルバムデビュー前の音源に入ってた曲。
中間部のアコギメインのくだりから、アコーディオンのバッキング・ベースのうねりの入り具合・アコギのヒートアップの仕方、なんかからふとPink Floydの「Animals」時代を思い起こした。
個人的に70年代テイストを感じるアレンジで、いままでと違う印象を受けた曲。
4人で演るのってこういうことよねってのがハッキリした曲。

・その日
初めて聞く曲。
前曲とは対照的な静かな曲。
ミニマルに繰り返されるベースのフレーズ、自由に泳ぎまわるアコーディオン、淡々と歌われるメッセージ。
静かな曲だと「ひーちゃん」さんのコーラスがしっかり聞けるからうれしい。
静から動への転換は、Sigur Rosの世界を思わせる。

・ヤキナオシクリカエシ
一度聞いている気がするのだが、それがいつだったか…
途中で入る変拍子の心地よさや、時折ラップ風に語られる詩。
それらが最後の「あぁもう聞き飽きましたね」の繰り返しにつながっていく。
ベースの雰囲気から感じるにはとてもジャジーなんだけど、やっぱ他にはない「キツネ」の世界観がそこにある。

・答えとして
第一部の最後にこの曲…なんかもったいない気も。
なんせ、大事な1stアルバムの最後を飾ってる曲なんだから…
なんていうのは、私のこり固められた観念であって、比較的今までにも聞いているサウンドを集めた第一部の終わりにこれがあるのは必然なんだと。
安心の世界であり、安定の象徴として…それが求められているかどうかは分からないけれど、私にとってはこの曲は「ここにあってほしい」ものだから、どの位置で披露されようとただ単純に喜んでいればいいのかも。

 本当の自分はどの自分?そう聞かれて
 そこから見えるそれ全部と答える。

20分ほどの休憩が告げられて、第一部が終了した。


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December 02, 2010

映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」

Strangelove

先日、子どもに約束してたハリポタのDVDを買いに言った際、ハリポタが3枚3000円キャンペーンで提供されていたのであと2枚をいろいろ考えた。

久々に「2001年 宇宙の旅」を観にいった余韻もあったので、そのうちの一枚はキューブリック熱から、この「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を選んだ。
これでキューブリック作品は「2001年~」「時計仕掛けのオレンジ」「シャイニング」「フルメタルジャケット」「アイズ・ワイド・シャット」と代表作をDVDで所有することとなった。(あとは「ロリータ」と「バリーリンドン」だな)

長い原題を「各国で上映する際は忠実に訳したタイトルとすること」とのキューブリック監督の厳命でこのタイトルだが、本来は「Dr.Strangelove」というタイトルの最初の人名を忠実に「博士、異常な愛情」と訳し、通称「博士の異常な愛情」という傑作タイトルとなったのは有名な余談。

この映画が傑作だというのは、様々なランキングでも知っていたし、意必ず見たいと思っていた一作。
ブラック・コメディとは聞いていたが・・・うーん笑えない。

ある将軍の異常な精神状態で発せられた命令によって右往左往する人々を描いているけど、大きく3箇所でのドラマが同時進行していく。

1つは命令を受けた爆撃機内部でのドラマ。
最初は命令を事実と受け入れられなかったけど、一旦事実と認めたら着実に任務遂行に向かっていく。
様々なハプニングを迎えつつ、「命令は絶対」としながらも燃料の関係であっさり攻撃目標を変えたりと、そのゆがんだ忠誠度をあざ笑って描いている。

もう1つは、その命令をした将軍とその基地を巡る攻防。
将軍の執務室での副官とのやり取りや、その異常な命令を回避させようと迫り来る同じ米軍の部隊との攻防。
副官を演じているピーター・セラーズ(クルーゾー警部でおなじみ)の、いかにもイギリスっぽい律儀さと将軍の異常さのズレをあざ笑っている。

そしてもう1つが、大統領(これもピーター・セラーズ)を含む、戦略部でのやり取りでのエピソードが絡み合ってくる。
この機会にソ連を叩き潰したい将軍(ジョージ・C・スコットの名演)と大統領の攻防。
ソ連首相と大統領の電話でのやり取り(まるで喧嘩してる恋人をなだめるような軽い説得の言葉・・・)
そして、後半に登場する「Dr.Strangelove」(ピーター・セラーズ・・・これで一人3役)の異常な、人間的感情を無視した科学至上のゆがんだ思想
さらにこの博士は大戦中ドイツの科学者ってことで、大統領のことを「総統」と呼んだり、意思とは無関係に発作的に右手が動き、ナチス風敬礼をしたくてたまらなくなっていたりと。

いやぁ、あらためて書いてみると、こりゃぁ確かにコメディ以外の何者でもない。
でも、笑いよりも薄ら寒さを感じるのは、それぞれの人間が、異常なんだけども「ありえる」っていうリアルさで描かれているから。

しかし、最後にそんな気分を吹き飛ばしてくれるのがオチの表現。
爆弾にまたがったまま、カウボーイさながら歓喜しながら落ちていく爆撃機キャプテンの姿…これはぜんぜんリアルじゃない(笑)
でも、このシーンなんかでパロってたの見た覚えが…なんだったっけ?

そしてもう1つが「Dr.Strangelove」が週末を迎えた世界のさなかに車椅子から立ち上がって、右手を高く掲げて「総統!私は歩けます!」と言ったエンディング。
隠し持ってたナチスの精神が終局で発動したとか、地下坑道(シェルターとして)に入れる選ばれた民になるために身体的なハンデを克服したとか、様々な解釈があるようですが…逆に深い意味がなかったのだとしたら、そんな無意味なせりふで締めくくることで自らの作品をあざ笑うキューブリックの茶目っ気なのか。

これもどっかでパロディを見たような…ゆうきまさみだったか火浦功だったか…まぁマッドサイエンティスト好きのマニアにはバイブルみたいな人格だったしね。

と、とにかくキューブリックの異才(天才!)ぶりがこの時点で仕上がってる感じの作品。
ひたすら飛び続けるB52の表現だとか(2001年のディスカバリー号)、淡々と描かれる戦闘場面(フルメタル・ジャケット)、攻撃命令を出した将軍や徹底攻撃を支持する将軍のとり憑かれたような狂気(シャイニング)など、以降の傑作作品のエッセンスがここに現れているような・・・って完全に後付けの感想だけどね。

あまり一般的な映画じゃないと思うけど、英国っぽいシニカルな笑いが好きな方は面白いかも。
(そうか、これを突き詰めたのがモンティパイソンなのか…って、違うか)



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