映画「イージー・ライダー」
先日、デニス・ホッパーの訃報を聞いた後、ショッピングセンターの駐車場代を浮かすために何枚かDVDを買う機会があった際に選んだ1枚。
なかなか観る機会がなかったが、仕事はお盆休みで家族は帰省中というのんびりした時間がもらえたんで、昼間から鑑賞。
この映画は20代のころに深夜放送のテレビで見たのが最初だったと思う。
音楽のかっこよさと、バイクのかっこよさは覚えてるけど、ストーリは覚えてない。
ただ衝撃的なラストだけは鮮明に覚えてる。
もっとも、テレビの放映だからあちこちぶつ切りだし、CMも入るし、いい環境じゃない。
今回、DVDでじっくり観る事ができた。
いわゆるアメリカン・ロード・ムービーの典型で、おおっぴらなメッセージ性は控え、旅の意味や目的もおぼろげなまま、出会いとエピソードを旅でつないでいく。
ただ、そのつなぎである旅の風景が半端じゃなく、アメリカの大自然。
そこにサザンロックがばっちりはまる。
私も持ってた印象だけど、イージーライダーというとステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」(Born To Be Wild)で、いきなり全開!って感じだったけど、じつは最初はもっとブルージーな曲で始まり、「ワイルドで行こう」は都会から離れるときのテーマ的扱い。
あとの曲はその自然風景に合わせて、ゆるーい感じが続く。
ただ、そんな中でもジミヘンだけはインパクトが違ってた。
60年代後半では彼はまだ早すぎたんだなとしみじみ…。
と、音楽面でも楽しめるロックな映画だけど、ジャック・ニコルソンと出会ってからの展開は深い意味合いがあふれてくる。
アメリカに突きつけられた”自由”の意味。
この映画には現れないけれど、この時代はベトナム戦争の影響もあった。
人種問題も、この映画の舞台となる南部にはまだまだ根強いものがあった。
若者文化への理解の問題もある。
容姿や台詞の中に現れる「男の長髪」を自由の象徴とし、それを受け入れられない人たちとの埋められない溝。
序盤の田舎では、自由な主人公に対して「大地に根ざす」ことで卑下してる家族と出会うが、主人公はしれを素晴らしいことだと言うし、家族も快く”異端児”である主人公を迎える。
それに対し、後半に現れる、町を作り自分たちを守ろうとする人たちは異端を好まず排他する。
それにとどまらず…とこれはネタバレなんでやめておくが、とにかく自分の”自由(と思っているもの)”を守るためには、それ以外を認めないという極端な姿が。
そして、さらに衝撃のラストへ…
このブログでも何度か話題にしている「アメリカン・ニュー・シネマ」というムーブメント。
反体制の主人公が自由に生きて(あるいは自由を求めて生きて)、しかしながら単純にハッピーエンドでは終わらないという…
「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」「真夜中のカーボーイ」「いちご白書」「バニシング・ポイント」「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」「スケアクロウ」「カッコーの巣の上で」「タクシー・ドライバー」…
ちょうど映画に興味持ち出した小学生のころに終焉を迎えたムーブメントだけど、やたらにかっこよく気になる映画があふれている。
もちろん、この「イージー・ライダー」もその代表作だ。
かつては憧れの象徴として…そしていつしか取り返せない青春の象徴として。
「金を稼ごうとしてるやつに自由はないのさ」
という劇中の台詞そのままに、あくせく働いているうちにあこがれていた自由にそっぽを向いていたんだなと。
中学生のころ、部屋にはこの二人の主人公がハーレーにまたがったモノクロのポスターを貼っていたことを思い出した。
たしかこのアングルのモノクロ版→
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