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August 24, 2010

映画「ダークナイト」

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夏季休業明けに広島へ出張、そのまま3日間のワークショップに参加する予定だったので、どこかで時間が余ったら観ようとDVDを持参した。
仕事の後、宿で宿泊するまでに時間があったので、ショッピングセンターの駐車場に停めた車の中で鑑賞。
10.6インチのPC画面だが、寝転がって胸の辺りにモニターを置いてみるから結構大画面の迫力。
さらにヘッドフォンで音を聞くから、下手に家で観るよりよっぽど世界入り込める。

この「ダークナイト」は先にレビューした「イージー・ライダー」を買ったときに、3枚で3000円キャンぺーンにするために選んだ1枚。
「イージー・ライダー」と「アラビアのロレンス」という「すでに観たけどもう一度観てみたい」2枚を決めた後に、迷った末「バットマン映画って感じじゃない話題性があったよな」ということでチョイス。
普通、これくらいの興味ならレンタルで借りてみるんだけど…

バットマンに関しては、子どものころテレビで見ていて、バットモービルのミニカーを持っていた記憶がある。
煙突みたいなところにマッチ棒をさして、手で走らせるとマッチ棒がばねで飛び出していく…
まぁ、少なくても小学生低学年のころだろう。

その後、ティム・バートン監督で映画化された後に、「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」「シザー・ハンズ」とティム・バートンの世界に惹かれていたときにDVD購入。
その御伽噺のような世界観と、ジャック・ニコルソンの狂気に感銘した。
しかし、それはあくまでもファンタジーワールドと言おうか、あえてリアルさに欠けたところで楽しむ感じだ。
同時に、これ以上にバットマンやジョーカーを表現することはないだろうと思っていた。
特にジャック・ニコルソンのジョーカーを越えることはできないだろうと。

今回の「ダークナイト」は新たに作り出されたバットマンワールドの第2弾。
しかし、前作「バットマン・ビギンズ」は観ていない。
そして今作が「バットマン・ダークナイト」ではなく、ただ「ダークナイト」とされたところに、私の中から「バットマン」感覚が薄れていた。
おそらく「バットマン」が付いていたら、ティム・バートンが最高だと思ってるから手にしてなかったかも知れない。
余断だが、原題のスペルを見るまで「ダークナイト」は「暗い夜」だと思い込んでた…(恥)

映画冒頭から衝撃な展開。
ただの銀行強盗ではなく、ある人物の性格を浮き彫りにする作業。
この時点で「お子様向け」の要素がなく、ファンタジーなゴッサムシティではい、リアルな世界が刷り込まれてくる。
現れるジョーカーのメイクも、漫画やジャック・ニコルソンのような作られた仮面ではなく、その中途半端さが「いてもおかしくない」存在になってくる。
後半現れるもうひとりの敵役トゥーフェイスにしても、見掛けは”ありえなさそう”でも、”ありえる”と思わされるだけの説得力がある。
また、この二人の敵役の心理状態が非常にリアルに感じられる。
姿は異様なれど、私と違いはないのだ。
嫉妬・猜疑・欲・自己実現…

そんな中で、逆にバットマンだけが浮き上がった存在になってくる。
できるだけ”ありえる”ようなシチュエーションが作られていくが、そのラバーで覆われた姿が”作り物”感を浮き立たせていく。
その揺れる心情や、”ただの正義感”だけじゃないことを表現されればされるほど、その変身した姿にリアリティがなくなってくる。

バットマンの存在を奇異にすればするほど、ジョーカーのリアルさがしみこんでくる。
ジャック・ニコルソンの常人からかけ離れた狂気ではなく、ヒース・レジャーの演じる狂気は、私の心を刺激し、つまされる。

このコミックが元になったドラマでありながら、ヒースがアカデミー賞助演男優賞を取ったのもうなづける。
彼の”死”というのが、賞に影響がなかったかと言えばわからないが、十分に納得させる世界を作っていた。


ちょっと長めの映画だが、引き込まれているうちにエンディングまで進んだ。
そこらのアメコミ実写化とは一線をおいた、観るに値する作品だ。

あと、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマンはやっぱいい役者だ。
(マイケル・ケインのコミカルさも好き)




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August 16, 2010

映画「イージー・ライダー」

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先日、デニス・ホッパーの訃報を聞いた後、ショッピングセンターの駐車場代を浮かすために何枚かDVDを買う機会があった際に選んだ1枚。
なかなか観る機会がなかったが、仕事はお盆休みで家族は帰省中というのんびりした時間がもらえたんで、昼間から鑑賞。

この映画は20代のころに深夜放送のテレビで見たのが最初だったと思う。
音楽のかっこよさと、バイクのかっこよさは覚えてるけど、ストーリは覚えてない。
ただ衝撃的なラストだけは鮮明に覚えてる。
もっとも、テレビの放映だからあちこちぶつ切りだし、CMも入るし、いい環境じゃない。


今回、DVDでじっくり観る事ができた。
いわゆるアメリカン・ロード・ムービーの典型で、おおっぴらなメッセージ性は控え、旅の意味や目的もおぼろげなまま、出会いとエピソードを旅でつないでいく。
ただ、そのつなぎである旅の風景が半端じゃなく、アメリカの大自然。
そこにサザンロックがばっちりはまる。

私も持ってた印象だけど、イージーライダーというとステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」(Born To Be Wild)で、いきなり全開!って感じだったけど、じつは最初はもっとブルージーな曲で始まり、「ワイルドで行こう」は都会から離れるときのテーマ的扱い。
あとの曲はその自然風景に合わせて、ゆるーい感じが続く。
ただ、そんな中でもジミヘンだけはインパクトが違ってた。
60年代後半では彼はまだ早すぎたんだなとしみじみ…。

と、音楽面でも楽しめるロックな映画だけど、ジャック・ニコルソンと出会ってからの展開は深い意味合いがあふれてくる。
アメリカに突きつけられた”自由”の意味。
この映画には現れないけれど、この時代はベトナム戦争の影響もあった。
人種問題も、この映画の舞台となる南部にはまだまだ根強いものがあった。
若者文化への理解の問題もある。
容姿や台詞の中に現れる「男の長髪」を自由の象徴とし、それを受け入れられない人たちとの埋められない溝。

序盤の田舎では、自由な主人公に対して「大地に根ざす」ことで卑下してる家族と出会うが、主人公はしれを素晴らしいことだと言うし、家族も快く”異端児”である主人公を迎える。
それに対し、後半に現れる、町を作り自分たちを守ろうとする人たちは異端を好まず排他する。
それにとどまらず…とこれはネタバレなんでやめておくが、とにかく自分の”自由(と思っているもの)”を守るためには、それ以外を認めないという極端な姿が。
そして、さらに衝撃のラストへ…


このブログでも何度か話題にしている「アメリカン・ニュー・シネマ」というムーブメント。
反体制の主人公が自由に生きて(あるいは自由を求めて生きて)、しかしながら単純にハッピーエンドでは終わらないという…
「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」「真夜中のカーボーイ」「いちご白書」「バニシング・ポイント」「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」「スケアクロウ」「カッコーの巣の上で」「タクシー・ドライバー」…
ちょうど映画に興味持ち出した小学生のころに終焉を迎えたムーブメントだけど、やたらにかっこよく気になる映画があふれている。
もちろん、この「イージー・ライダー」もその代表作だ。

かつては憧れの象徴として…そしていつしか取り返せない青春の象徴として。
「金を稼ごうとしてるやつに自由はないのさ」
という劇中の台詞そのままに、あくせく働いているうちにあこがれていた自由にそっぽを向いていたんだなと。


中学生のころ、部屋にはこの二人の主人公がハーレーにまたがったモノクロのポスターを貼っていたことを思い出した。
たしかこのアングルのモノクロ版→Easy2


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