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December 14, 2009

キツネの嫁入り 「いつも通りの世界の終り。」

Jkitune5

レコ発ライブにお邪魔して、デビューCDを購入した。

ショップに行ったり、ネットで買ったりも出来ることは出来る。
でも、レコ発ライブに行くモチベーションとして、「会場で買う」と決めた。
実現できてなにより。
そして、我慢して待った甲斐があった。
ライブはライブとして楽しみ、アルバムはアルバムとして楽しめた。
一粒で二度おいしい。

「比類なき」っていう言葉があるけど、「キツネの嫁入り」がそうだ。
比べてみてほかが見当たらないということで計るのじゃなく、比べるという行為が必要ない。
事前に何かをイメージしても意味がない。
そういう意味で「比類なき」バンドであり、アルバムだ。

映画のオープニング、古き山並みの遠景から少しずつ近づいていく…そこには人がいて生活があって…そんな風景を思い起こすようなイントロから「キツネの嫁入り」の世界に入っていく。

「世界の逆」
祭りだ。
村祭りだ。
あぁめでたいなぁめでたいな…いや、そうでもないぞ。
この不安にさせる波動はなんだ?

アコギ・アコーディオン・パーカッション。
「マドナシ」「ひーちゃん」「カギ」
3ピースが3ピースとして完璧に機能してるサウンドに”詩”がのっかる。
その”詩”がやっかいだ。
こころに陰をもたらす。
その”陰”が嫌いじゃない私自身が一番やっかいかも知れない。

「群れをなす」
何が惹きつけるのだろう…
その観察眼もひとつの要因だろう。
外に目を向けて観る事で、同時に自己の内側を観ている。
これはカウンセリングでもあるし、宗教でもある。
あぁ、私の歩みと重なってるからだ。

「箱庭」
ライブでも何度も聴いている。
毎回、「ひーちゃん」さんのコーラスに惚れる。
でも、コーラスだけが素敵なんじゃない。
そこまでにいたる「マドナシ」さんの歌があってこそのコーラスだ。
ゆったり、ゆったり。
さらに、そのゆったりに緊張を持ち込むジャンベ。

でもいつもと違う緊張感もある?
あぁ、ベースが入ってるからさらに化学変化を起こしてるんだ。

「忘却」
歌・詩・唄…
言霊が届いてくるというのはこういう感じなんだろうな。
楽器のサウンドが邪魔をせずに、いやそういう言い方はちょっと違うか。
サウンドが包み込みながら、それでいて言葉を押し出している。

「白黒」
最初に詩の世界が頭にこびりついた。
「白」と「黒」をつけたがる世界に響く「グレー」の叫び。
カウンセリングを通じ、「関係」ということを学ぶ身に忘れてはいけない感覚。
まさか、歌を聴いてそのことを突きつけられるとは思ってもみなかった。

一見コミカルなサウンド。
淡々とした歌。
それはただの装飾で、本質は詩の中の叫びにある。
コミカルな装飾に隠さずには置けない叫びがある。

「カラマワリ」
エスニックだ。
最初はそう思った。
でもそんな枠付けはなんの意味も成さない。
縦ノリ?横ノリ?
そんなの気にせず好きにすればいい。
(私は前後にノル)

「最後の朝焼け」
このアルバムの核はここじゃないかと密かに思っている。
思い入れがある。
正確には「マドナシ」さんの思い入れを、ちょっとだけ聞いた…というところに思いが引きづられている。
音楽は音楽…作り手の思いはどうあれ、受け取ったものが受け取ったものの自由にすればいい。
だけど、この曲だけは、作り手の思いを含めて、今私の中に届いている。
そうやって聞くのも自由だし。

でも、そういうことは別にしても、すばらしい一曲。

「夜あるくもの」

 境界線に腰を下ろし、”みぎ”と”ひだり”を眺めている

なんという詩を放つんだ…
そこを読み取ろうとした刹那に

 言葉は意味をなくし

と突きつけられる。
まいった、降参だ。

身を任すしかないとすると、今度は変拍子で身体も心もかき乱される。
もう勘弁してください。

(スタジオ盤ならではのボーカル処理も素敵)


「答えとして」
何度か聴いているはずなのに…ほかの曲に比べ一番イメージに隔たりが。
サウンド的に、ベースが加わってるからということも確かにあるだろう。
ドラムにすることでバンドっぽいサウンドになってるのがほかの曲と違うということもあるのだろう。
でもそれだけじゃない。

アルバムラストに持ってくるということで、彼らに思い入れが増えているのかもしれない。
なにやら、メンタル的なものが歌になって届いてきている。

そんなことまで考えさせてしまう「キツネの嫁入り」
どうやら深入りしすぎてしまったようだ。
ただ「化かされてる」だけか?

カルト度 80%  世間的には定番じゃないよなぁ…でも買って損はなし。私にとって「カルト」は褒め言葉だ。

会場で買ったから、ポスター・ステッカー・remixCD(by石橋英子)もいただきました。
ポスターは早速フレームに。

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December 13, 2009

ライブレビュー 「LLama」×「キツネの嫁入り」

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私のフェイバリットアーチスト「キツネの嫁入り」が先日1stアルバムを発売。
今日はそのレコ発ライブってんで、以前から楽しみにしていた。
最近東京から戻ってきた、向こうでバンドやってた甥っ子を誘ってたけどバイトってんでパス。
高校生の娘も誘ってたけど、部活で疲れていて「眠い…」ってんでパス。
ということで、一人寂しく会場のアーバンギルドへ。

さっき、このレビュー書くのに過去記事探ってたら、最後に行ったのは1年前の12月。
なんと、この一年を通して唯一のライブ鑑賞が今日ってことで。
うーん、どうりで心の潤いがないわけだ。

「キツネの嫁入り」が主催するイベントプログラム「スキマ産業」は、通常4組以上のラインアップで行われる。
「キツネ~」はゲストを迎える立場なんで、いつもは結構あわただしい。
でも、今回は彼らが主役。
対バンは「LLama」だけで、2バンドだけなんでどっちもゆったり聞けるというお得な日。

思い返せば、ふとしたきっかけでネット上で「マドナシ」さんと知り合い、彼がやってるバンド「キツネの嫁入り」のライブにお誘いいただき、その時にドアを開けて入ったのが「LLama」
子どもができてから、長くライブスポットに行ってなかった私が久々に「音の洪水」に浸ることになったときに触れた音である「LLama」と、そのきっかけをくれた「キツネの嫁入り」の2マンライブ。
うーん、ご縁を感じます。

まずは「LLama」
初めて聞いたときも結構気に入った音だったけど、今回も期待にたがわないいいライブ。
ツインドラムス・ウッドベース・ギター・ギター(時々トランペット)という変則の5人編成。
このバンドに感じるのは、音のパズル。
楽器が多いからといって、ドカドカ押し捲るんじゃなくて、少しずつずれたタイミングで、重ならないように音がつむがれていく感じ。
これが緻密に計算されたものか、フィーリングのなせる業かはわからないけど。
そこそこスキマもあり、また絶妙にスキマが埋められている心地よさ。

で、いろんなタイプの曲を聴いていて感じたのは「ベースが肝」ってこと。
うっどベースをボーイング(弓で弾く)でやっているときは、音の底辺をうまく抑えていていいのはいいんだけど、それよりもピッキング(指で弾く)ときのうねりがいい。
ツインドラムがどちらかというと軽い目で音をスイングさせていくところに、ブイブイとグルーブするベース。
そういうリズム面でも重要な位置。
またギターがディレイを効かせて単音で埋めようとするときにも、ベースのグルーブでメリハリをつけていくという重要な位置。
これがはまっているときはとても気持ちいい。

もうひとつの顔は、ツインドラムが徐々に音数を増やしていって気がつけば音の洪水にあふれているような曲。
こちらはMogwai好きのところにマッチ。

いやぁ、やっぱこちらも好きなバンドです。


変わって「キツネの嫁入り」登場。
いつもなら一曲ずつ書くけれど、今回は全体的な印象で。
なじみの曲もアレンジ変えて違ったイメージで聞けたし、大満足。
初めて聴く曲でもお得意の「変拍子」を取り入れて、思わず「にやり」とさせられる。
いやぁ、私も好きなんですよ、変拍子。

あと、今回特に「パーカッション(主にジャンベ)」の音がすごくよかった。
アレンジ的に、ちょうどいい音数ではまっているってのが一面。
音響的にとてもいいバランスで、メリハリも優しさもハッキリ表情が現れるくらいよく聞こえていたってのがもう一面。

バンド編成がアコギ・アコーディオン・パーカッションの3人編成だから、パーカッションが強すぎるとメリハリが強くなりすぎるし、弱いとアコーディオンのブワーっとした感じに負けてしまう。
それが、今回は、それぞれの楽器が際立っていて、とてもバランスがよかった気がする。
まぁ、この辺はリハで上手く決めても、客の入り方で雰囲気変わったりもするんだけどね。
そうか、今日はメインだから、じっくりリハができてたのかもしれないね。

で、そのジャンベで感じたことがもうひとつ。
ドラムのバスドラや、ベースの低音弦なんかがあると、当然のようにその低い音が響いてきて、ヘソ下あたりに「ズンッ」とくることは当たり前。
しかし今日は、耳で聞こえるジャンベの音とは別に、音にならない「圧」が足元から響いてきた感じがする。
パーカッションの「カギ」さんが上手いのもあるだろう。
しっかりと音を拾って、しっかりとPAから発しられてるからだろうとも思う。
おそらくその「圧」は、録音したりしたものでは感じない、生だからこその「圧」
これも先に書いたバランスの問題で、ギターの低音やアコーディオンの分厚い低音が強いと感じられない類だと思う。

きっと、レコーディングしたことで、当然リハも繰り返しただろうし、曲としても3人のバランスがどんどん熟成されてきたんだろうと思う。
とっても気持ちよい演奏だった。

これまで何度かこのスポットに聞きにきたけど、私の定位置は入り口を入ったPA卓の横。
でも今回は2mほど前に行ったところまで進んだ。
だから気がついたのかも知れないけど、アコーディオンの「ひーちゃん」と、ギターの「マドナシ」さんが素足だった。
(「ひーちゃん」の生足に見とれてたから気がついた?)
いや、だからどうってことはないんだけど、彼らの音と「素足」ってのが妙にマッチしてて、地面から伝わる音楽ってのがあるんだなと。

言葉を大事にする「キツネの嫁入り」
歌と詩を味わえました。


で、歌ってことで最後に。
「LLama」も日本語の歌を丁寧に歌ってるから、歌詞が聞き取れたらもっと楽しめるのかなと。
バンドのサウンドとしては楽しめるけど、歌の中身が伝わってこない。
楽器が多いと、やっぱバランスが難しいんだろうね。
だから余計に、「キツネの嫁入り」の歌が響いてきたのかもしれない。


今まで我慢して、「レコ発に記念で買おう」と思ってた1stアルバム。
今日はライブの余韻を楽しむために、あえて聴かないことにした。
明日には(苦労したという)レコーディング音源を楽しませてもらうつもり。


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December 08, 2009

John Lennon 「Imagine」The Movie

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気がつけばあと1年で、あの日から30年ということになる。
学校から帰り、寝ていた私に友人から電話が入った。
「ニュース聞いたか?」
何のことかわからなかった。
「ジョンが死んだらしい」
そう聞いてもしばらく何のことかわからなかった。

今ならばすぐにネットにつないで情報をあさるところだろう。
しかし、当時はそんな気が利いたものはなかった。
テレビにしてもニュースの時間でもなければやらないだろう。
でもラジオならば…
ジョンの曲がかかってる。
泣きそうな声で繰り返しニュースを告げるDJ。
その時点でも、受け入れていたかどうか、もう覚えていない。

映画「イマジン」は上映されたときに観にいった。
先日、ネットでDVDを何枚か買おうと思ったときに、この作品にもクリックを入れていた。
買ったまま未見でおいてあったが、今日と言う日に観てみることにした。

ジョンや周囲へのインタビューを中心に、合間にライブなどの映像がはさまれていく。
幼い頃の話題のあとに「マザー」
ピアノを少し間違えてぺロッと舌を出すジョン。

前半のBEATLES時代の話や映像は他のプログラムでも結構観た事がある。
キャバーンクラブやBBCプログラム、突然カラーになるシェアスタジアム。
客席の女子は叫ぶ・叫ぶ・叫ぶ…

それに対比するように、白亜の館でピアノ一台で弾き語りを始める「イマジン」…

BEATLES時代、アメリカに上陸したときの映像…熱狂的なファンたち、中には妄信的な男性ファンも。
まるで、数年後の悲劇につながることを暗示するような、狂気をはらんだ熱狂…
自分の人生を歌に重ね、ジョンに出会うことで何かを求める若者。
それに対し、「おれはただの人間だ」と。
そこにかぶるように歌われる「ジェラス・ガイ」…おれはただの嫉妬深い男だ…

再びBEATLES時代のスタジアムライブ。
曲との間には金網がある。
ときどき、その境界を乗り越えて、彼らに近づこうとするファンたち…
ジョンはそんな日常に「HELP!」と叫んでいた。

ちょっとしたジョークが社会現象になる。
マスコミは悪意をもってさらに煽ろうとする。

ヨーコと出会い、どんどんピュアになっていくジョン。
周囲に理解されることより、自分に正直であろうとしているように見えた。

あるインタビューでは白い布をかぶって行った。
「意見を聞いて欲しい、肌の色や髪の長さで判断して欲しくない」と。

BEATLES換算ニュースの後にはさまれる「God」
この歌の中で「I Don't Beleave~」とつづられるものが映像で表現される。
The Dream Is Over


ヨーコとの間の子どもができ、一時リタイヤしていたジョンが創作活動を再開した。
ジョンはヨーコと公園を歩いている。
ファンが声をかける「握手してくれ」と。
金網越しだったが、彼は握手した。
その数日後、ファンの放った銃弾に倒れた。

あぁ、これはジョンの悲しい出来事を再確認するためのドキュメンタリーだったんだと、その瞬間思い出した…

ジョンが生きたのは40年。
いつの間にか、ジョンより永く生きてることに、今気付いた。

「イマジンを白いピアノで演奏したら?」
この映画の最初に提案されたとおり、白い館の白い部屋で白いピアノと共に「イマジン」が歌われる。
その部屋のドアには「This Is Not Here」と書かれていた。

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December 06, 2009

プログレの深い森 その9 Genesisの場合-2

Genesis2

これまでのバンドと違い、1回の考察で終わってしまったGenesis。
しかし、エントリーを書きながら、またその後も継続して聞いているうちに補足的に書きたくなる事が…

今回の「プログレの深い森」シリーズを書くために、以前から取り込んであるもの以外にもCDを引っ張り出してきてパソコンに取り込み、繰り返し繰り返し聞いている。
そういうとき、スタジオ録音物を中心にするので、ライブ盤は後回し。

で、今回エントリーをアップしてからGenesisのライブ盤を聞いていた。
ここで、Genesisの特徴が新たに感じられた。
ピーター在籍時のライブは、唯一「ライブ」だけで、その後はフィルがボーカルを取っているので、

>どうしてもそれまでのイメージを模倣している感が否めず

>ピーターの存在感は越えられない感じ

と、比較しての判断が前面に出ていた。

たしかにそれはその通りで、書き換えるつもりはない。
しかし、こと演奏力という点で聴くと、過去の作品をあとのメンバーで演奏しているものがどんどんすごくなってきているのだ。
機材が良くなり、ライブ盤でも音の圧力や鮮明さが際立ってきているせいもあるだろう。
また。他のバンドに比べてスタジオ盤を聞き込んでいないから思い入れが少ないせいもあるだろう。

とにかく、ライブ盤の迫力が素晴らしいのだ。

Pink Floydに関しては演奏力は二の次として…
YESはそれぞれの技量はすごいが、それぞれが主張したときの緊張感が売りで、場合によってはその技量が殺される場合がある。
King Crimsonのそれは、インプロビゼーションにおける、各パートの技量のせめぎ合いが売りといえる。
Genesisの場合は、技量があるのにあまり主張せず(フィルがドラムで目立つきらいはあるが)バランスがいい。
かなり高度のところでバランスをとっているのがすごさの由縁。

逆に、スタジオ盤でも同じくらいの完成度と言える、逆説もある。

だから、Genesisのアルバムレビューに乗り気になってないのかもしれない。

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December 05, 2009

プログレの深い森 その8 Genesisの場合-1

Genesis4


1週間かけて「その7」まで駆け抜けたプログレ考察、すっかり息切れしてしまいました。
うーん、3大バンドてしておいたらよかったかな…

で、4番目のバンドがGenesisなわけですが、まずはここで異論がある方もおられることでしょう。
ここは「ELP」じゃないかと。
その辺の理由は「ELP編」(やるつもりなのか?)に置いておきます。

Genesisにとっかかり辛かったのは、他の事に忙しかったせいもありますが、これまでの3バンドに比べて思い入れが…低いから。
(思い入れで行けばELPの方が強い)

バンドとしてGenesisを意識して聞いたのは、80年代中盤のMTV時代に入ってから。
そのころはフィル・コリンズをフロントマンにしたヒットバンド(産業Rock)時代で、曲も雰囲気も好きなのはあったけど、これまでのプログレ・バンドとは違うもの。
もっとも、この時代は「Asia」や「シネマYES」のように、プログレ出身の産業Rockがどんどんヒット曲でチャートアップしてた時代だから、Genesisに対してもプログレって見方はしてませんでしたが。
また、同時期にピーター・ガブリエルもヒットチャートに上がってたし、過去の作品に対してもプログレとして聞こうという感じは無かったなぁ。

でも、それが変わったのは好きなドラマーとしてのビル・ブラッフォードを追いかけだしたときに、Genesisの「眩惑のスーパー・ライブ」で「サポートとしてすごいドラミングをしている」と聞いて、そのアルバムを手に入れてから。
そこで演奏されている楽曲に、「荘厳」さと「叙情性」を感じ、これはプログレだなと。
そこから古い作品にさかのぼっていくことに。

1969年 創世記(From Genesis To Revelation)
1970年 侵入(Trespass)
1971年 怪奇骨董音楽箱(Nursery Cryme)
1972年 フォックストロット(Foxtrot)
1973年 月影の騎士(Selling England By The Pound)

1973年 ライブ(Genesis Live) -Live
1974年 眩惑のブロードウェイ(The Lamb Lies Down On Broadway)
1976年 トリック・オブ・ザ・テイル(A Trick Of The Tail)
1976年 静寂の嵐(Wind & Wuthering)

1977年 眩惑のスーパー・ライブ(Seconds Out)-Live
1978年 そして3人が残った(...And Then There Were Three...)
1980年 デューク(Duke)
1981年 アバカブ(Abacab)

1982年 スリー・サイド・ライブ(Three Sides Live)-Live
1984年 ジェネシス(Genesis)
1986年 インヴィジブル・タッチ(Invisible Touch)
1991年 ウィ・キャント・ダンス(We Can't Dance)

1992年 もうひとつのジェネシス:ライブ(The Way We Walk, Volume One: The Shorts)-Live
1993年 もうひとつのジェネシス:ライブ後編(The Way We Walk, Volume Two: The Longs)-Live
1997年 コーリング・オール・ステーションズ(Calling All Stations)

このバンドも結構メンバーチェンジが激しく、そのうちプログレっぽさが前面に出ているのはピーター・ガブリエル在籍時の「怪奇骨董音楽箱」から「眩惑のブロードウェイ」まで。
このうち、コンパクトな「フォックストロット」と2枚組みのコンセプトアルバム「眩惑のブロードウェイ」は別格。
このアルバムからの曲はのちのライブでもよく取り上げられる代表作。

ところが、このあとピーター・ガブリエルが脱退し、フィル・コリンズをメインに継承されていくけれど、どうしてもそれまでのイメージを模倣している感が否めず、佳作は一杯あるけれど、もうひとつ抜けきれないと言う…
だから先に書いたライブ「眩惑のスーパー・ライブ」も技量的にはすごいんだけど、ピーターの存在感は越えられない感じ。

さらにメンバーが減っていき、アルバムタイトルになるくらいの状況「そして3人が残った」ということに。
ある意味、この3人体制が新しいGenesis像を作り出していくんだけど、同時にそれはプログレバンドからの脱却と言うことに。

特にバンド名を冠した代表作「ジェネシス」からは、ヒット作を連発するスーパーバンドであり、メンバーは同時にソロや別バンドでも活躍しだすという…

ということで、同じGenesisというバンドでも、知っている人はほとんど後期じゃないかなぁ。
その頃でも昔の曲をライブでやってるから、80年代以降のGenesisしかしらない方も、ぜひ初期の作品を聞いてもらいたい。

ディスコグラフィー見てると、LP時代でも節目節目にライブ盤いっぱい出してるねぇ。


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