キツネの嫁入り 「いつも通りの世界の終り。」
レコ発ライブにお邪魔して、デビューCDを購入した。
ショップに行ったり、ネットで買ったりも出来ることは出来る。
でも、レコ発ライブに行くモチベーションとして、「会場で買う」と決めた。
実現できてなにより。
そして、我慢して待った甲斐があった。
ライブはライブとして楽しみ、アルバムはアルバムとして楽しめた。
一粒で二度おいしい。
「比類なき」っていう言葉があるけど、「キツネの嫁入り」がそうだ。
比べてみてほかが見当たらないということで計るのじゃなく、比べるという行為が必要ない。
事前に何かをイメージしても意味がない。
そういう意味で「比類なき」バンドであり、アルバムだ。
映画のオープニング、古き山並みの遠景から少しずつ近づいていく…そこには人がいて生活があって…そんな風景を思い起こすようなイントロから「キツネの嫁入り」の世界に入っていく。
「世界の逆」
祭りだ。
村祭りだ。
あぁめでたいなぁめでたいな…いや、そうでもないぞ。
この不安にさせる波動はなんだ?
アコギ・アコーディオン・パーカッション。
「マドナシ」「ひーちゃん」「カギ」
3ピースが3ピースとして完璧に機能してるサウンドに”詩”がのっかる。
その”詩”がやっかいだ。
こころに陰をもたらす。
その”陰”が嫌いじゃない私自身が一番やっかいかも知れない。
「群れをなす」
何が惹きつけるのだろう…
その観察眼もひとつの要因だろう。
外に目を向けて観る事で、同時に自己の内側を観ている。
これはカウンセリングでもあるし、宗教でもある。
あぁ、私の歩みと重なってるからだ。
「箱庭」
ライブでも何度も聴いている。
毎回、「ひーちゃん」さんのコーラスに惚れる。
でも、コーラスだけが素敵なんじゃない。
そこまでにいたる「マドナシ」さんの歌があってこそのコーラスだ。
ゆったり、ゆったり。
さらに、そのゆったりに緊張を持ち込むジャンベ。
でもいつもと違う緊張感もある?
あぁ、ベースが入ってるからさらに化学変化を起こしてるんだ。
「忘却」
歌・詩・唄…
言霊が届いてくるというのはこういう感じなんだろうな。
楽器のサウンドが邪魔をせずに、いやそういう言い方はちょっと違うか。
サウンドが包み込みながら、それでいて言葉を押し出している。
「白黒」
最初に詩の世界が頭にこびりついた。
「白」と「黒」をつけたがる世界に響く「グレー」の叫び。
カウンセリングを通じ、「関係」ということを学ぶ身に忘れてはいけない感覚。
まさか、歌を聴いてそのことを突きつけられるとは思ってもみなかった。
一見コミカルなサウンド。
淡々とした歌。
それはただの装飾で、本質は詩の中の叫びにある。
コミカルな装飾に隠さずには置けない叫びがある。
「カラマワリ」
エスニックだ。
最初はそう思った。
でもそんな枠付けはなんの意味も成さない。
縦ノリ?横ノリ?
そんなの気にせず好きにすればいい。
(私は前後にノル)
「最後の朝焼け」
このアルバムの核はここじゃないかと密かに思っている。
思い入れがある。
正確には「マドナシ」さんの思い入れを、ちょっとだけ聞いた…というところに思いが引きづられている。
音楽は音楽…作り手の思いはどうあれ、受け取ったものが受け取ったものの自由にすればいい。
だけど、この曲だけは、作り手の思いを含めて、今私の中に届いている。
そうやって聞くのも自由だし。
でも、そういうことは別にしても、すばらしい一曲。
「夜あるくもの」
境界線に腰を下ろし、”みぎ”と”ひだり”を眺めている
なんという詩を放つんだ…
そこを読み取ろうとした刹那に
言葉は意味をなくし
と突きつけられる。
まいった、降参だ。
身を任すしかないとすると、今度は変拍子で身体も心もかき乱される。
もう勘弁してください。
(スタジオ盤ならではのボーカル処理も素敵)
「答えとして」
何度か聴いているはずなのに…ほかの曲に比べ一番イメージに隔たりが。
サウンド的に、ベースが加わってるからということも確かにあるだろう。
ドラムにすることでバンドっぽいサウンドになってるのがほかの曲と違うということもあるのだろう。
でもそれだけじゃない。
アルバムラストに持ってくるということで、彼らに思い入れが増えているのかもしれない。
なにやら、メンタル的なものが歌になって届いてきている。
そんなことまで考えさせてしまう「キツネの嫁入り」
どうやら深入りしすぎてしまったようだ。
ただ「化かされてる」だけか?
カルト度 80% 世間的には定番じゃないよなぁ…でも買って損はなし。私にとって「カルト」は褒め言葉だ。
会場で買ったから、ポスター・ステッカー・remixCD(by石橋英子)もいただきました。
ポスターは早速フレームに。
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